第三回「ドイツ人と劇場(1)」

劇場アラカルトの第三回は、建物としての劇場から少し離れて、劇場と日常生活とのつながりをドイツの例でご紹介します。
日本では、劇場とりわけオペラハウスは敷居が高いと考えられがちですが、ドイツでは親しみやすい存在となっているようです。
ドイツの地方劇場でコレペティトールとして活躍する田中美穂さんに、その様子を紹介してもらいます。

田中 美穂(たなか みほ)
鹿児島県出身。ドイツ国立ライプツィヒ音楽演劇大学コレペティツィオーン科でハルトムート・フデツェック氏に師事し、最優秀の成績で卒業。これまでにライプツィヒ市立喜歌劇場、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン州キール歌劇場勤務を経て、現在ザクセン=アンハルト州デッサウ歌劇場専属契約コレペティトール。


ミュンヘン、ハンブルク、フランクフルト、シュトゥットガルト・・・ドイツには首都ベルリン以外にも有名な大都市が東西南北各方面にたくさんあります。この背景には様々な文化の浸透、発展が大きく関わっており、この国が地方格差の無い芸術文化を今でも保っている理由の1つとなっています。実際、人口3万人程度の街でも州立の歌劇場が存在しており、週末にオペラを観るため電車で片道5時間・・・ということなく劇場に出かけることができます。そのため、現代においても職業音楽家の地位が確立された、ヨーロッパでも珍しい国だと思います。

私は現在、デッサウ=ロスラウ市にあるザクセン=アンハルト州デッサウ歌劇場にコレペティトール(主にオペラ歌手に音楽稽古を付ける役割)として勤務しています。これまでドイツ国内3つの劇場で仕事をしてきましたが、そこで経験したこと、感じたことを少しお話しさせていただこうと思います。

ドイツにいると日常生活の中でも音楽がとても身近な国だと感じます。例えば少し大きな街の中心地では、毎日ストリートミュージシャンが演奏をしています。アフリカの打楽器に、マリンバソロの面白いパフォーマンスもあれば、王道のクラシック弦楽四重奏も・・・。

そんな多種多様な音楽が日常にある環境の中で、オペラも決して沈んだ存在ではありません。街や駅には大きなポスターが貼られ、パンフレットがありとあらゆる場所に置かれています。ショッピングモールの中に劇場のチケット販売所が設けられている街もありました。少し気にして街を歩けば、劇場の情報が直ぐに目に入るのです。そして、州立の歌劇場自体が、地域との関わりをとても大切にしており、上演する演目や活動はあらゆる世代に向けて考えられ、提供されています。

さて、ドイツではどのようにして劇場への一歩を踏み出すのでしょうか。多くの場合、劇場で提供している子ども向けの公演を通して、幼少期に劇場デビューをします。子どもも楽しめるオペラでは『ヘンゼルとグレーテル』や『魔笛』、バレエだと「くるみ割り人形」などが有名ですが、他にも親子向けに縮小編集されたオペラが数多く存在し、小さな子どもでも気軽に舞台芸術を楽しむことができるように工夫されています。また、ドイツの小中学校では学校行事としてオペラ公演の鑑賞や演出稽古の見学を取り入れていることも多いです。更に、個人的に劇場へ興味を持った子どもたちの中には、劇場運営の少年合唱団やバレエスクール、青少年オペラプロジェクトに参加する子もいます。これらの団体は、オペラの本公演(『ヘンゼルとグレーテル』の合唱など)で演技衣裳付きで出演する機会もあり、その経験を通して「将来はプロの道へ・・・」と考える子どもも少なくないようです。

また、多くの歌劇場やコンサートホールは野外コンサートやオープンデーを毎年行い、誰でも無料で気軽に音楽を楽しめる機会を提供しています。野外コンサートには屋台も設置され、美味しいビールとポテトをいただきながら、スクリーンに映された演奏の様子を眺めたり、オープンデーでは音楽のみならず、衣裳や舞台美術に関するイベントも実施され、様々な角度から芸術文化に触れることができます。子どもから大人まで幅広い世代に対して、公演を観るための入口だけでなく、より身近な存在として多くの入口を用意しているのがドイツの劇場の特徴だと感じます。

とは言え、やはりドイツでも日本と同じようにオペラの観客はある程度の齢を重ねた大人や年配の方が多いです。しかし前述のように劇場は広く入口を開いており、敷居は決して高いものではありません。世界的に有名な歌劇場での人気プロダクションによる公演はまた別として、地方の州立劇場ではジーンズや普段着のワンピースで、家からふらりと徒歩で観に来る人の姿も珍しくありません。もちろん、少しおしゃれの楽しみも含めて来場する人もいますが、大学の帰りに自転車で、大きなリュックサックのままやって来る学生もよく見かけます。何より大抵の場合、劇場は街の中にあり、隣は民家ということもあるのです。

私たちコレペティトールは、稽古だけでなく鍵盤楽器奏者としてオーケストラピットで演奏することもあります。同じ演目を数十回弾いていると、自然と公演毎の客席の空気の違いを感じることができるようになってきます。最前列に大声で頻繁に笑うご婦人がいると、他の観客も釣られて笑いやすくなり、また二階席から「ブラヴォー!」を真っ先に言う紳士がいると、負けじと他の方も「ブラヴォー!」と言ってくださいます。彼らは台詞が面白ければ大声で笑い、アリアに感動すれば気が済むまで思い切り長く拍手をする、観客一人ひとりが公演を心から楽しんでいるのです。そしてそれを受けた歌手たちも、センスの良いアドリブを入れ、それに笑うオーケストラ団員。公演は出演者だけではなく、観客も含め劇場全体で作られているのだと肌で感じる瞬間です。

オペラは百年以上前に作曲されたものが多く、古い芸術の再現であるという認識があるかもしれません。確かにほとんどの作品は昔に作られたものですが、そこにあるテーマは今にも通じる普遍的なものであることも少なくありません。また、実際の舞台も決して古風なものばかりではなく、時代とともに常に変化し、現代の私たちの動きと一致するように創り上げられています。

毎週末、目を輝かせて劇場へ足を運ぶ観客は、日頃週末の芸術鑑賞のために働き、日常を忘れて公演の時間を存分に楽しみます。地域と劇場が密接した国ドイツ。あらゆる世代が気軽に劇場と関わることで、音楽への情熱と文化が絶えずにこうして今でも日常生活の一つとして受け継がれています。

コレペティトール
田中 美穂(たなか みほ)